就学率

しゅうがくりつ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  学齢児童のうち小学校に就学するものの比率。学制後政府の奨励にもかかわらず国民の経済的事情のより就学率は低く、たとえば『文部省年報』によれば1877年(明治10)の尼崎町では学齢2,284人のうち就学1,014人で就学率は44%にすぎなかった。しかも就学児童のうち日々出席者は73%であった。この時期は、尼崎町に比して農村部の就学率はさらに低く、尼崎町の場合は男女の比率の差がそれ程ないのに対して、農村部では女子の就学者が少ないことが原因であった。このような就学率が以後も続き、1886年には授業料不要の簡易小学校が設置されたが、就学率はそれほど改善されなかった。1898ないし1899年の数字でみると、尼崎町の65%に対して立花園田村はほぼ同比率、小田大庄村が55%前後、武庫村が最も低く51%であった。日清戦争後教育振興政策がとられ、1900年8月の小学校令の改正で授業料が廃止され、欠席児童の督責・家庭訪問・授業参観などの実施によってはじめて就学率が向上しはじめ、第1次大戦までに市域の小学校では95%以上の就学率に達し、また男女差もなくなり、国民の教育水準は向上した。

執筆者: 山崎隆三

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