山下栄二

やましたえいじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1901年(明治34)10月14日 - 1990年(平成2)1月9日

  鹿児島県姶良〔あいら〕郡西襲山〔にしそのやま〕村(現霧島市隼人町)で農家の長男として出生。肥料問屋奉公の後、1920年(大正9)叔父を頼って久保田鉄工所尼崎工場の臨時工となった。1921年のストを経験、労働運動挺身を決意し、総同盟に個人加盟した。その間働きつつ関西商工学校土木科卒業。本人の回想によれば1923年2月久保田支部を結成しストを実施したという(1924年か)。総同盟の活動家となり1926年別子銅山ストを支援、1928年(昭和3)の3.15事件で検挙されたが不起訴。その直後の尼崎市会議員第1回普選社会民衆党から当選した(3期)。総同盟久保田支部長・同尼崎連合会長を歴任の間、1929年5月の合同紡神崎工場争議をはじめ尼崎地方の数多くの労働争議を指導した。総同盟第3次分裂で西尾末広と袂を分ち、全国同盟全国労農大衆党の兵庫県連合委員を経て、社会大衆党の中央委員・全国委員を務めた。その間1936年市参事会員就任、1937年兵庫県会議員に当選(3期)。労働組合解散後は産業報国会兵庫県支部の監事として活動した。終戦後、社会党結成に参加し同党兵庫県連会長・中央委員となり、1946年衆議院議員当選(8期)。1960年1月民主社会党に、結成とともに所属。1956年の定年まで一貫して久保田鉄工所に在籍、同社顧問・社友。1986年市政功労者表彰受賞。

執筆者: 久保在久

参考文献

  • 山下栄二「戦前尼崎の総同盟労働運動の思い出」『地域史研究』第6巻第1号 1976
  • 『戦前尼崎の労農運動』 1979 尼崎労農旧友会
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