尼崎市公報

あまがさきしこうほう
市報より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  市制施行の翌1917年(大正6)9月、月1回発行の市公報が創刊された。告示、辞令、教育・財務・戸籍その他各行政分野の周知事項等を掲載し、B5判20頁前後が標準的であったが必要に応じて増頁が行なわれた。1936年(昭和11)3月の226号まで発行の後、4月の小田村との解消合併により新たに1号から発行開始、1942年3月の72号を最後に尼崎市民時報と改題した。

  市民時報は市公報と同じくB5判、頁数も同程度で、告示的な内容よりも町内会への回覧事項などを中心とした広報紙的な性格が強く、戦時体制づくりをめざす時局の要請にこたえるものであった。1942年4月から月1回発行され、官公署・教化団体・町内会等に配布されたが、1945年5月の35号を最後に用紙不足のため休刊、1947年9月復刊した。復刊後は月1回、B5判4~8頁であったが、1951年8月の48号からタブロイド判2頁となり、1953年4月の68号から月2回、翌月の69号から市報あまがさきと改題、のち4または8頁に増頁となって継続中。

  一方、1958年4月から新たに条例規則の制定改廃や告示等を掲載したB5判の尼崎市公報が月1回発行開始、1965年4月から月2回となり、1987年3月の612号をもって廃刊となった。

執筆者: 地域研究史料館

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