藩制布告

はんせいふこく
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  藩治職制版籍奉還につづいて、さらに政府の諸藩にたいする統制を強化する措置として、1870年(明治3)9月藩制が布告された。これにより藩治職制での職制に代えて、知事のほか新しい職制を定めた。尼崎藩では執政堀時式部と執政・公議人服部清三郎が大参事に、権大参事には執政の豊田連、少参事に山田順吾ら4人、大属に小嶋康平ら7人、権大属に久保松照映ら8人、少属に平林昌伴ら8人、権少属に山崎正仲ら6人が任命されたが、堀以外の元家老は非役となり、その他すべて中・下士層出身であった。こうして藩制布告の実施を契機として、藩政の主導権は中・下士層に移った。藩制においてはいま一つ重要なことは藩財政の改革である。すなわち藩の貢租実収高からその10分の1の知事家禄を除いた残高の10分の1を陸海軍費に、10分の9を公廨費(行政費)と藩士の家禄支給に充てることが定められたのであるが、陸海軍費の半額は陸軍費として藩兵の費用に充て、半額は海軍費として政府に上納することになった。すなわち藩財政の一部が政府に吸い上げられることになったのである。

執筆者: 山崎隆三

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