1879年

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀:18世紀 - 19世紀 - 20世紀
年表 10年紀:1850年代 1860年代 1870年代 1880年代 1890年代
周辺の年:1876年 1877年 1878年 1879年 1880年 1881年 1882年

明治12年

  • 1月8日
  • 1月 - 兵庫県は区制を廃止し神戸区と33郡を設置した。
  • 2月6日 - 府県会規則による兵庫県会議員の定数が武庫郡2人、川辺郡3人と定められ、2月から3月にかけて第1回県会議員選挙が実施された。
  • 4月 - 兵庫県は区町村会法公布(1880年)に先だって、20歳以上の土地所有者男子による公選町村会設置を規定した「町村会規則」と「数町村連合会規則」を公布した。
  • 5月15日 - 第1回兵庫県会が開会した。
  • 6月12日 - 中在家町コレラが発生した。翌月22日までに川辺郡56か町村で流行し、患者309人のうち227人が死亡した。
  • 6月30日 - 警察費削減のため坂部交番所が廃止された。
  • 6月 - 兵庫県の視察調査にもとづく「士族就産状況視察復命書」が、多くの尼崎藩士族の経済的困窮・起業失敗を兵庫県令に対して報告した(士族授産)。
  • 7月1日 - 伊丹交番所が伊丹分署に昇格し、川辺郡下の各交番所を管轄した。
  • 7月 - 小学校の教科書として旧尼崎藩士久保松照映著『摂津地誌略』が刊行された。
  • 8月25日 - 各町村会議員の内から選出された委員によって、第1回武庫郡町村連合会が開かれた(全郡町村連合会は武庫・川辺両郡とも明治29年まで存続)。
  • 8月28日 - 川辺郡役所は、コレラ患者収容のための避病院新城屋新田に新築完成した旨を各町村に通知した。
  • 11月10日 - 兵庫県は下坂部村など24か村からの願いを受け、協議費による坂部交番所の設置を認めた。
  • 11月21日 - 常吉小学校が観瀾小学校と改称された。
  • 12月1日 - 難波小学校が保性小学校から分離して設置された(現市立難波小学校の前身)。
  • 12月27日 - 東富松村など敬業小学校区6か村は、1校では通学に不便であるとして敬業・脩正・愛真3校の設立を兵庫県に出願し、許可された。
  • この年 - 兵庫県の各町村に戸長役場を設置することになった。
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