尼崎鍍金工組合

あまがさきめっきこうくみあい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1919年(大正8)4月初島町で開業した中山亜鉛鍍金工業所で、1923年6月争議が発生した。さらに11月にも監督の解雇に同情して全労働者300人余が工場長排斥を決議し、うち150人は尼崎合同労組の指導でストに入った。労使の対立は厳しく、月末には警察署長・市長の調停に持ち込まれ、組合加入の自由・工場委員会制などを獲得して解決した。この成果をもとに同工場労働者により、1924年1月4日尼崎鍍金工組合が結成された。総同盟指導の住友伸銅所争議阪神電鉄争議が困難な解決を強いられた後だっただけに、この争議は退勢にあった尼崎の労働運動に復活機運をもたらしたと評される。

執筆者: 久保在久

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