尼崎城下風景図


 作者不詳 近世後期 尼崎市教育委員会蔵(72.0×243.0p) 尼崎市指定文化財

 この図は、近世後期の尼崎城下の風景を、鳥瞰〔ちょうかん〕図法によって描いたものです。東(図の右手)は辰巳町、西は出屋敷、南は築地町、北は大物〔だいもつ〕町と寺町を範囲として、家並みの細部にいたるまで、精細に描き込まれています。
  景観の年代は、文化12年(1815)に寄進された初島大神宮の石燈篭〔いしどうろう〕や、文政5年(1822)に焼失した本興寺の塔が描かれていることから、上限は文化12年、下限は文政5年頃と考えられます。絵の描写は概して正確で、当時の尼崎城下の様子をくわしく知ることができる貴重な史料と言えます。
 全体図の下に掲げたのは、この風景図のうち中在家町の部分の拡大図です。中在家〔なかざいけ〕町の魚市場には、近隣はもとより瀬戸内一円から生魚が集められ、大坂や京都にまで出荷されるという活況を呈していました。この鳥瞰図のなかで、人々が群れ集う様子が描かれている唯一の場面であり、城下でもっともにぎわっていたことがうかがわれます。


(全体図)


(中在家町の部分拡大図)