壬申地券

じんしんちけん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1872年(明治5)6月租税頭〔そぜいのかみ〕に就任した陸奥〔むつ〕宗光は、翌7月かねての抱負にもとづき全国すべての土地について地券を発行すべき大蔵省達を発した。これにより1872年から1873年にかけては発行交付された地券が1872年の干支〔えと〕にちなんで壬申地券といわれる。市域では1873年後半からすべての村々で発行されたと考えられる。この地券には地目と地積、所有者名などが記された。当初は「方今適当の代価」も記されることになっていたが、代価を決定する方法が確立していなかったためその表示が困難であった。したがって地価による地租の賦課よりも所有者の確認に意味があった。やがて地租改正が始まったのでこの地券の発行は中絶し、改正地券と交換されたため壬申地券の現存するものはほとんどなく、市域では常松村で2枚、下坂部村で1枚発見されているにすぎない。

執筆者: 山崎隆三

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