秦野塾

はたのじゅく
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  天明年間(1781~1789)浄土真宗の僧侶秦野恵教〔えきょう〕が常松村浄正寺に開いた寺子屋で、経史・医学を講じた。その後安政年間(1854~1860)に、伊丹明倫堂に学んだ三代恵祥〔えしょう〕が開塾した。恵祥は、1872年(明治5)の学制発布に感奮して小学校設立を志し、その熱意によって翌年2月市域で最初の公立常松小学が開設された。これにともなって秦野塾が廃止となったかどうかは明らかでないが、のち1889年3月恵祥は浄正寺内に成務学館を創設し、自らその館長となった。浄土真宗の宗教教育を中心とし国語・漢文・数学を教授し、西宮町などから広く塾生が集り、寺内に寄宿舎も設けられた。1896年には4年制の各種学校の認可を得た。1898年には同窓会誌「蛍雪会誌」が創刊された。1917年(大正6)9月館長秦野俊載が死亡したため廃止となった。

執筆者: 山崎隆三