1962年

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀:19世紀 - 20世紀 - 21世紀
年表 10年紀:1940年代 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代
周辺の年:1959年 1960年 1961年 1962年 1963年 1964年 1965年

昭和37年

  • 1月16日 - 大阪堂島地区電話局尼崎分局が尼崎電話局と改称した。
  • 2月4日 - 全国的な電話市外局番整備のなか、大阪局の市外局番が06になったことにより、大阪局区域である尼崎市の市外局番も06となった(市外局番06)。
  • 3月30日
    • 総評傘下の労働組合員を中心とする約400人が、開会中の尼崎市議会に対して競艇場即時廃止の議決を求めてデモを行なったが、市議会は当面存続案を決定した。
    • 国鉄尼崎駅構内で、年度末手当要求スト参加の国労組合員約700人が約1時間線路上に座り込み、鉄道公安職員と衝突した。参加者のうち7人が4月20日に検挙された。
  • 3月31日 - 常光寺西ノ町1丁目(現常光寺1丁目)の市立尼崎病院(伝染病院)が廃止された。
  • 4月1日
    • 市立武庫東小学校が市立武庫小学校から分離して設置された。
    • 市立園田東小学校が市立園和小学校から分離して設置された。
    • 県立武庫工業高等学校が時友(現武庫之荘8丁目)に設置された。
    • 英知短期大学若王寺に設立された。
    • 関西鉄鋼短期大学西昆陽に設立された。
    • 灘生活協同組合と神戸生活協同組合が合併し、灘神戸生活協同組合となった。
  • 6月25日 - 尼崎市は、市制50周年記念事業として尼崎市史編集事業を実施すべく「尼崎市史編集事業規則」を公布・施行し、編集事務局を設置した。
  • 6月28日 - 阪神地方の会員が多く参加・投稿する文学同人誌“AMAZON”が尼崎市内で創刊された。
  • 7月7日 - 日本シポレックス工業が設立された。
  • 7月22日 - 尼崎市内6消防団(中央・小田・大庄・武庫・立花・園田)を統合して、尼崎市消防団が結成された。
  • 8月1日 - 水堂古墳の発掘調査が始まった。
  • 8月23日 - 日本住宅公団西武庫団地の第1回入居が始まった。
  • 10月1日 - 東本町の東部下水処理場が一部完成し、下水処理を開始した(下水道)。
  • 10月8日 - 市制記念日のこの日、東七松町1番地(現東七松町1丁目)に建設された村野藤吾設計の市役所新庁舎の落成式が行なわれた。
  • 10月13日 - 尼崎市の城内常松両地区出張所が設置された。
  • 10月15日 - 北城内から東七松町1番地(現東七松町1丁目)に移転した市役所の新庁舎が開庁した。
  • 10月25日 - アメリカ資本のスーパーマーケット「セーフウェイ社」の尼崎市内北部出店計画に反対する尼崎商店連盟の決起大会が尼崎商工会議所において開催され、市内商店主約400人が参加し、大会後商店街をデモ行進したと報じられた。
  • 11月10日
    • 中央商店街東町会が造った中央商店街入り口から132mのアーケードが完成し、落成式が行なわれた。この結果、中央・三和・出屋敷商店街約1km、7商店街がアーケードで接続されることになった。
    • 三反田芦原町(現東七松町2丁目)に、青少年活動の拠点施設として市立青少年会館が竣工した。
  • 11月14日 - 尼崎市長選挙が行なわれ、薄井一哉が当選した(3選)。
  • 11月30日 - 東七松町1番地(現東七松町1丁目)に建設され、すでに開庁して業務を始めていた市役所新庁舎が、この日をもって竣工した。
  • 12月1日 - 阪神電鉄第二阪神国道(現国道43号)建設工事にともない海岸線出屋敷-高洲間)の営業を廃止した。
  • 12月12日 - 尼崎市長薄井一哉が就任した(3期目)。
  • この年 - 猪名川改修工事の一環として、神崎川に合流する猪名川下流部を戸ノ内の東から西に移す戸の内捷水路計画の工事が完成した。
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