序説/尼崎の歴史の舞台2/尼崎市域の微地形(田中眞吾)




空中写真と微地形図

 図1「尼崎市域の微地形分類図」は、大阪市役所が計画し、民間会社が昭和17年(1942)に撮影した空中写真(大阪市指定文化財)のうち、尼崎市域部分を判読、図化したものです。昭和17年当時は、国土防衛上の見地から空中写真の撮影が全面的に禁じられていた時代ですから、極めて貴重な映像です。
 写真上では、尼崎市域には大規模な地形改変は見られません。したがってこの写真はある程度、市域の開発前の自然地形を示すものと考えてよいでしょう。縮尺は7千分の1と極めて大スケールなので、地表の0.5m程度の凹凸〔おうとつ〕も読みとることができ、地形を細かく判読、分類できます。難点は機器・撮影技術の未熟さのためか、写真がブレていたり、部分的に連続性に欠けていたりすることです。
 図1の基図は、昭和37年印刷・1万分の1「阪神間都市計画図(尼崎市)」です。市域の都市化は進行中で、地形が見やすいので使用しました。

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図1 尼崎市域の微地形分類図

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尼崎市域周辺の地形の概要

 次項の図2は、土地分類基本調査による「地形分類図 大阪西北部」(5万分の1・平成8年)の伊丹台地を中心にした部分です。図のほぼ下半部が市域です。その地形的背景を見てみましょう。
 伊丹台地は、北摂山地の南麓〔なんろく〕から南へ舌状に延びる、東に高く西に低く傾く形で隆起した傾動〔けいどう〕隆起の台地です。台地を構成する地層は、西の武庫川および東の猪名川によって運ばれてきた砂礫〔されき〕が中心です。
 武庫川は、伊丹台地が傾動隆起して形成されてきた影響を受けて、流路を南東方向から次第に南方向へ変えています。一方、その間の気候変化にもとづく海面の上昇・下降の影響を受け、流路沿いでは浸食や堆積〔たいせき〕の位置や作用を変え、段丘〔だんきゅう〕化をすすめました。東の猪名川は隆起側の台地を浸食し、そこに崖を形成し、豊中市域側には伊丹台地西側と同様に段丘地形を形成しました。北摂山地からは天王寺川・天神川による土砂礫が台地に上乗せられ、その後、伊丹台地の両側に武庫川・猪名川による沖積〔ちゅうせき〕平野・氾濫原〔はんらんげん〕が形成されています。
 図2の中心部には、順に形成された断丘面が表現されています。これらは前述の傾動隆起と気候変化にともなう武庫川の河道変遷〔へんせん〕の結果です。伊丹台地の表面は、これらの段丘面の集合体として形成されています。
 図2の左側は武庫川とその氾濫原、沖積平野部分であり、微高地や凹地(旧河道)、川沿いの自然堤防やその他の砂地からなっています。図2の右側には猪名川とその氾濫原が示されており、伊丹台地の東端の青いラインは段丘崖を、淡赤色は人工改変地を示しています。
 このような台地化がすすんだ過程の末期頃、千里丘陵の北縁を限る断層の延長部に、伊丹台地上の昆陽〔こや〕池付近を南西・北東方向に形成された断層凹地、昆陽池地溝帯が形成されました。この地溝帯の形成によって、台地上を流れてきた天王寺川・天神川は地溝帯にしたがい南西方向へ流れを変え、伊丹市池尻付近から武庫川へ合流しました。すなわち、武庫川による一種の河川争奪が生じたのです。

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図2 伊丹台地


『地形分類図 大阪西北部』平成8年、兵庫県より

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尼崎市域の地形区分と性格

 尼崎市域周辺の地形的な配置は以上のとおりです。次いで、このような背景下の尼崎の小地形について述べます。市域の地形は、(1)伊丹台地南縁部、(2−1)武庫川の沖積平野と(2−2)猪名川の沖積平野、中央部分南部の(3)海岸平野部、(4)両河川下流部の三角州という四つの地形的要素で構成されています(図1)。このうち(4)については資料の都合上触れません。

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(1)伊丹台地南縁部

 伊丹台地の南縁部分は、序説1「縄文海進前の尼崎の地下」に示したとおり、、約12〜13万年前以降、地下段丘の下端部分で約2万年前の形成です。
 台地南半分の水系の特徴は、図1で分かるように、台地上を北西〜南東方向に流れることです。それは、台地の少なくとも西半分の構成物を堆積させてきた武庫川の水系が、この付近の大地の東高西低での傾動隆起の影響を受けて、次第に流路を南西へと移動させた結果です。これらの水系には、伊丹台地上に降った雨水が集まり、排水されます。しかし小河川ゆえに、多くの場合シルトや粘土で厚く埋められていきます。
 傾動隆起した伊丹台地はその東縁が台地上の最高所であり、また、かつては水を供給してきた河川も争奪現象で水勢を失っており、灌漑〔かんがい〕用水を得がたい地域です。それに対し、台地西縁は武庫川のかつての沖積平野そのものであり、その流路は台地上にも残されています。また、台地西縁は高度的に現成の沖積平野にも近く、したがって、武庫川の氾濫水は台地上へも上がって来ますし、また、武庫川に井関を設け、用水を台地上へ引くことも容易です。現に昆陽川は、武庫川に近い伊丹市寺本から台地の一般的な傾斜方向に逆らいつつ昆陽から千僧〔せんぞ〕へと水を引き、以後、南東に向きを変え、南野と御願塚〔ごがづか〕の間を流れ、上坂部〔かみさかべ〕を経て久々知〔くくち〕川に至り、庄下〔しょうげ〕川へ合流します。一方、武庫川がほぼ現在の位置を流れるようになってからの最古の河川としては、伊丹市池尻−時友−友行−東富松〔とまつ〕−栗山−尾浜−西長洲〔ながす〕へ至る、富松川−庄下川の流路があります。

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(2−1)武庫川の沖積平野

 図1の武庫川の氾濫原上には、凹地が網目状に走っています。これらは当然、旧河道であり、河道は少し大きな出水ごとに位置を変えます。旧河道間の白地の部分は氾濫原上の砂州〔さす〕・砂堆〔さたい〕で、氾濫原上の微高地部分です。微高地部分のさらに高所は砂などで構成されていることが多く、図1では黄色で図示しています。流路沿いに長く続く黄色は自然堤防です。砂州や砂堆には、古い自然堤防が後の河川により分断され形成されたものもあります。武庫川がほぼ現在の位置を流れるようになってからの最古の河川は、前述の富松川ですが、次いで古いのは、池尻−師直塚〔もろなおづか〕から南南東流して武庫庄〔むこのしょう〕へ、新たに武庫川からの流れを加え、西富松から水堂〔みずどう〕、浜田に至る、すなわち蓬〔よも〕川筋です。その南には、武庫川からの湧〔わ〕き水、出水を集め、西武庫−守部〔もりべ〕−今北へ東南に、武庫川と平行して流れる水筋があります。
 国道2号が武庫川を渡る武庫大橋以南の武庫川左岸沿いには、非常に大規模な自然堤防が形成されています。武庫川流域に存在するこのような大規模な砂質堆積物は、六甲山東部の風化した花崗岩〔かこうがん〕山地から流出したものと考えられますが、現在のところ、供給源は明確ではありません。

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(2−2)猪名川の沖積平野

 田能〔たの〕・穴太〔あのう〕・富田〔とうだ〕・善法寺などの集落は猪名川・藻〔も〕川沿いの顕著な自然堤防上にあります。伊丹台地に発する伊丹川は南清水〔しみず〕付近で猪名川の氾濫原上に出ており、そこから下流側の氾濫原上では、河間の微高地よりも低地の方が広くなっています。洪水の被害が少なく、水はけの良い河間の微高地上には、近世の集落が立地しています(図3)。
 伊丹川に続く流路は伊丹台地東縁を流れ、上食満〔かみけま〕から下流の次屋、潮江にかけて氾濫原上を非常に複雑に屈曲しながら流れています(図1)。その網状流路の間には大・小の微高地としての砂州・砂堆が点在し、その上に近世の集落が立地しています。下坂部の旧河筋以東、藻川沿いは、猪名川最下流の沖積低地の性状を示していて、砂堆の分布は少ない状態です。

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図3 猪名川氾濫原


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(3)海岸平野部

 阪急神戸線以南の地を海岸平野部と分類します。この部分には現海岸線にほぼ並行した状態で並ぶ砂州列や、それが分断されて砂堆化したものが列状に並んでいます(図4)。これらは、比較的長期に続く海岸線沿いに集積された砂により構成されています。武庫川や神崎川によって海中へ運び出された砂や、他地域での海岸浸食による砂が、沿岸流によって運ばれてきて堆積したものです。
 ここで、比較的長期に続く海岸線について述べます。海水面は気候変化により上昇・下降を繰り返しており、海岸線は気候温暖期の高海水面期には内陸側へ入り込み、そこでしばらく滞留し、寒冷期には海面低下とともに海岸線は後退していきます。海岸沿いの砂州は温暖期の海岸線沿いに前述のような過程で造られます。隆起する海岸部では、最初の砂州列の形成後も隆起が続き、新しい砂州列はより海岸側に形成されます。したがって、古い砂州ほど内陸側に並びます。同時に内陸部のものほど、砂州形成後の河川の作用や人工によって分断され、断片化する傾向が見られます。
 市域では砂州列は三列見られ、海岸側から第一列〜第三列と呼ぶことにします。前述のように、第三列が最古の砂州です。第一列(東新田−竹谷−西本町〔ほんまち〕−東本町)、第二列(西難波〔なにわ〕−東難波−西長洲−東長洲)は明瞭です。第三列(三反田(あるいは七松〔ななつまつ〕)−尾浜−潮江−次屋−神崎)では、砂州が断片的ですが、列状に続きます。とくに神崎付近は東西方向の川筋が顕著ですが、これは砂州間の凹地が流路化したと考えられます。尾浜付近では、微高地を縦断した川筋が写真上に見えます。三反田の西方では、立花駅前の区画整理により旧流路は明瞭ではありません。以上のほか、部分的な微地形列としては、玉江橋から東大物〔だいもつ〕町にかけてが明瞭です。上坂部−伊佐具〔いさぐ〕神社付近にも砂堆が群集しています。これが古い海成に由来するものなのか、河成なのかは、地形的にはっきりしません。
 砂州列間の低地は海面下で造られ、海岸線の後退とともに露出してきた海成もしくは海岸平野です。そこに形成される比較的直線形状の河川は、海面低下によって現れた浅海底上に以前の河川が延長してきた延長川です。砂州列の形成がいつの時代のものか微地形図では不明です。埋蔵文化財や文献史料の調査研究成果と併せて、はじめて時代比定が可能となります。

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図4 海岸平野の砂州列と形成順序


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