1868年

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀:18世紀 - 19世紀 - 20世紀
年表 10年紀:1840年代 1850年代 1860年代 1870年代 1880年代
周辺の年:1865年 1866年 1867年 1868年 1869年 1870年 1871年

明治元年(慶応4)

  • 1月6日 - 朝廷は、尼崎藩の恭順の誓いを受認し、尼崎城の守備および王事への勤労を命じた。
  • 1月10日 - 尼崎藩は岡山藩の尋問に対して朝命帰順の誓書を提出した。
  • 1月15日 - 下坂部村では、長州藩の郷蔵差押えに対して、蔵の残米は樋代銀等の下付金と申し立てて封印をまぬかれた。
  • 1月22日 - 大坂と兵庫に鎮台が設置された。
  • 2月2日 - 兵庫鎮台が兵庫裁判所と改称した。
  • 2月3日 - 尼崎藩は、それまで城下宮町の真如庵でだけ行なっていた小児種痘を、今後村々へも医師田中周祐・億川信斉を派遣して行なうこととした。
  • 2月5日 - 新政府は、尼崎藩と三田藩に摂津国の元幕府代官支配所および一橋・田安領村々の管理を命じた(旧幕府領・田安領の管理)。
  • 2月7日 - 尼崎藩松平氏は、朝廷の命令に従って桜井姓に改姓する旨を届け出た。
  • 2月26日 - 旧尼崎藩青山氏分家の旗本4青山氏(青山氏(幸澄系)青山氏(幸通系)青山氏(幸正系)青山氏(幸高系))は、朝廷への帰順を表明し本領の安堵を願い出た。
  • 4月3日 - 田能など摂津国内に飛び地領を有する武蔵国岡部藩安部氏(信真系)陣屋の三河国半原への移転を、新政府が許可した(半原藩)。
  • 4月10日 - 尼崎藩は、生魚の市立てをめぐる問屋と商人との出入りについて、漁船の入船数による市立ての割合を定めた。
  • 4月22日 - 尼崎藩は、福山藩に代わって西宮の警備を担当するよう新政府から命じられた。
  • 4月26日 - 藩は、新政府の貢士に豊田連を選び、京都へ送った。
  • 5月15日 - 新政府は銀目の廃止を布告し、太政官金札を発行した。
  • 5月17日 - 尼崎藩銀札を銭札に引き替えると触れた。
  • 5月23日 - 兵庫裁判所兵庫県(第1次)となり、伊藤博文が初代兵庫県知事に任命された。
  • 5月25日 - 江戸在府中の尼崎藩主が帰国の許可を再度願い出たが、不許可となった。
  • 5月 - 太政官は、下坂部村ほか2か村の領主青山幸長に本領安堵と王事に勤労すべきことを申し渡した。
  • 7月13日 - 尼崎藩は新政府発行の金札6,000両の貸付けを受けた。
  • 7月 - 新政府は、助郷村の組替えによって4万7,000石余の村々を尼崎宿の助郷とした。神崎宿は宿付きの助郷を廃され、すべての継立てを相対雇いの賃銭によるよう命じられた。
  • 8月11日 - 尼崎藩は、貸下げ金札をもって城下に新たに築港したいと新政府に出願し、翌月17日許可された。
  • 9月6日 - 尼崎藩は、幕府軍に対する大阪湾海岸防衛に262人を出張させるよう新政府から命じられた。
  • 9月8日 - 慶応から明治に改元された。
  • 10月28日 - 新政府は「藩治職制」を公布した。
  • 12月 - 尼崎藩の商法役所は、魚市での売買について掟書きを下し、魚問屋仲間および小前魚商人に不和・不正がないよう申し渡した。
  • この年 - 中在家町の泉屋利兵衛など5人が連印して、尼崎藩にかわって三井家から600両を借用した。
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