古代編第1節/古代社会の黎明1コラム/柱根と年輪年代(福井英治)

考古資料の年代

 これまで文字のない縄文時代や弥生時代の遺跡から出土した遺物に対して、型式学的な方法を駆使して系統化・序列化し、層位学的な方法によって相対的な新古の関係を確定させてきましたが、あくまでも相対的な関係であって、暦の上の実年代を与えることはできませんでした。日本でも暦を使うようになった歴史時代になって、木簡などに記された年号や日付等によって、一緒に出土した資料の使われていた暦年代をつかむことができるようになりました。
 これまで文字や暦の使用が見られなかった弥生時代は、中国や朝鮮半島製の製作年代のわかっている資料−銅剣や青銅鏡のほか、「貨泉」・「五銖銭」など貨幣によって推〔お〕しはかってきました。弥生時代のどの段階の資料と一緒に出土したのか、そして中国の歴史書『魏志〔ぎし〕』倭人伝〔わじんでん〕に記された倭国に関する詳細な記述、なかでも、中国への朝貢〔ちょうこう〕に関する記事や「金印」・「倭国大乱」などの記載に符合する考古学的な遺物・遺跡に表れている現象などから、紀元を前後する数百年間と考えてきました。

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出土樹木の実年代測定

 しかし、近年、木材の年輪年代測定法やAMS法(加速器質量分析法)による放射性炭素14年代測定法など、自然科学の分野からの精度の高い年代測定法が開発され、かなり断定的に実年代をつかむことができるようになってきました。ここでは、その二通りの方法のうち、市内の武庫庄〔むこのしょう〕遺跡で見つかった大型掘立柱建物の柱根〔ちゅうこん〕を対象に行なった、年輪年代測定法について見ていきます。年輪年代測定法は、樹木の年輪が一年に一層ずつ形成され、年輪の幅には年ごとに広狭の違いがあることを年代測定に応用したものです。
 身近にある柱の木口〔こぐち〕(横断面)や樹木の切り株に同心円を描く年輪を見ることがありますが、よく見ると年輪の間隔(幅)は一定ではなく、年輪の幅に広狭の差があることはよく知られています。気象のよい年には幅広く、悪い年には狭いといった現象の結果です。これは、樹木の生育していた場所の気温・降水量・日照量など気象条件によって生じた現象です。これまで,年輪は個々の樹木ごとに異なり、日本列島のように南北に細長く、地形・気象などが多岐にわたる場所では年輪の成長はそれぞれ違っていると思われてきました。しかし、生育圏500〜600kmの範囲内で成長した同じ種類の樹木(スギ・ヒノキ・コウヤマキなど)の間では、年輪の変動はほぼ同じ変化を示すことがわかってきました。そこで、伐採した年のわかっている現代の材木から、年輪幅を年輪読み取り器で10ミクロン、100分の1ミリ単位で計測し、横軸に暦年を、縦軸に年輪幅を置いた折れ線グラフを作ります。それによって年ごとに年輪幅がどのように変動しているのか、暦年の確定した年輪の暦年変動パターンがつかめます。
 この年輪幅の変動パターンを、建築年代のわかっている古建築材や遺跡から出土した時期のわかる材木等を資料に、連鎖させて過去へと遡〔さかのぼ〕り、長期にわたる年輪の変動パターンをグラフ化し、標準的な暦年年輪変動パターン(暦年標準パターンと言う)グラフを作成します。そこに表示された変動パターンを図化することが、始まりになります。この出来上がった標準のグラフに年代のわからない樹木の年輪変動パターングラフを照合して、双方の変動パターンが一致する年代部分を見つけることで、年代のわからなかった樹木の伐採年代や枯死年代が確定できます。この際の資料が、樹皮または最終形成年輪まで残存している木材と周辺の辺材部分の残る木材の場合は、伐採年代や枯死年代を示すか、それに比較的近い年代を示しますが、樹皮や辺材部を削られた木材の場合は、最終形成年輪等を失っているので伐採年より古い年輪年代を示すことになり、取扱い、解釈に注意する必要があります。

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図1 柱根3の年輪パターングラフと暦年標準パターングラフ


図1 柱根3の年輪パターングラフ(赤線)と暦年標準パターングラフ(黒線)
奈良文化財研究所・光谷拓実氏提供
 図中の黒線は光谷拓実氏が作成した年輪年代測定の基礎になる暦年標準パターングラフです。縦軸に年輪の幅、横軸に年数を表示。縦軸の凹凸〔おうとつ〕は成長した年輪の幅が年によって異なっている様子を示しています。例えば、毎年成長が同じであれば、グラフは折れ線状をなさず、横一直線になります。ヒノキは現在から紀元前912年まで約3千年間の暦年標準パターンが作成されています。
 武庫庄遺跡の柱根はヒノキです。横軸の年によって縦方向に年輪幅の凹凸があり、成長が変化している様子がつかめます。図の赤線は武庫庄遺跡の柱根3の今回計測された年輪パターングラフです。年輪の成長の変化の様子が暦年標準パターンに合致していることが、よくわかります。−245年のところに柱根の最後の年輪が合致して、伐採・枯死年代が特定できました。


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紀元前245年の柱

 平成8年(1996)、震災復興の共同住宅建設に先立つ武庫庄遺跡の発掘調査では、直径50cmのヒノキの柱や、棟持柱〔むなもちばしら〕にいたっては直径80cmを越すヒノキの巨木を柱材とする弥生時代の大型掘立柱建物が検出されました。建物の規模としては現在でもわが国でもっとも大規模な弥生時代の建築物です。柱穴からは、まったく予想外なことに前述した建物の柱の根元部分−柱根−が発見されました。これまで三十数次に及ぶここ武庫庄遺跡の発掘調査では、遺跡が、洪積〔こうせき〕丘陵上に立地することもあって、木質の柱材が残されていたことはなく、今回の調査の結果は意外であり,この柱から測定された年輪年代が、弥生時代研究に一石を投じることになりました。
 年輪年代測定にあたっては、柱根3に直接棒状標本採取棒を挿入し、直径約5mmの標本を採取し、計測して得られた年輪データはコンピュータに入力して、暦年標準パターンと照合し、さらには目視で照合し確認しました。このような経過を経て武庫庄遺跡の柱根の年輪年代は図1のように測定されました。棒状標本の観察では、木材の外側の辺材部分は失われていると判断されました。このため、得られた年代・紀元前245年は失われた辺材部分の年代だけ古く表示されていると考えられ、想定された年代は、失われたであろう辺材部(77年分)を考慮して紀元前168年頃の伐採とされました。
 ところがのちになって、3柱根を半截〔はんさい〕切断して調べたところ、一部に辺材部が2.6cm残っていることが確認されました。そのため棒状標本で得られた紀元前245年という年代は限りなく伐採年代に近いことが、あらためて確認されました。柱の掘方(柱を建て周囲を土で埋めて柱を安定させた埋め土)のなかの土器は弥生時代の中期前半・V様式(古)段階、腐食した柱の柱根を埋めた土のなかの土器は中期後半・V様式(新)段階でした。この結果から、弥生時代中期中頃のある時点が紀元前3世紀中頃、紀元前245年と実年代が特定できました。

武庫庄〔むこのしょう〕遺跡の大型掘
立柱建物跡(遺跡南側から)


柱根検出状況(武庫庄遺跡)


試料採集
スウェーデン製の成長鉗〔かん〕を使い棒状標本を採取中の光谷拓実氏


半截〔はんさい〕した柱根の断面
右上に残った辺材が見えています。

(写真はすべて尼崎市教育委員会提供)

〔参考文献〕
光谷拓実「年輪年代法」(『弥生の環濠都市と巨大神殿』池上曽根遺跡史跡指定20周年記念事業実行委員会、平成8年発行)

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