現代編第3節/石油危機から震災まで3コラム/市民が創る文化(辻川敦)

 行政にとっての文化が、都市のイメージアップをはかるためのものであるとするならば、市民にとっての文化は、その前提となる自分たちのまちのアイデンティティを確かめるためのもの……そんな風に、文化を位置付けることができるかもしれません。価値観の多様化や、心の豊かさが求められるようになったと言われるこの時期、尼崎市においても、さまざまな形の文化の営みが生まれました。
 ここではそういったもののなかから、近松と、地域写真集の刊行という、二種類の取り組みを紹介します。

近松門左衛門ゆかりの尼崎

 尼崎市久々知〔くくち〕の広済寺〔こうさいじ〕には、劇作家・近松門左衛門(1653〜1724)の墓があり、近松ゆかりの寺として知られています。
 尼崎の人々が、近松との関わりに注目する歴史は古く、昭和11年(1936)にはすでに「大近松宣揚〔せんよう〕会」という団体が作られ、広済寺において大近松祭を開催しています。ちなみに同会の幹事長は、当時県会議員であり戦後市長・県知事となる阪本勝〔まさる〕でした。
 近松祭の開催はその後も引き継がれ、昭和41年に広済寺の近松墓が大阪谷町の近松墓とともに国史跡に指定されると、近松への関心は一層の盛り上がりを見せるようになります。近松ゆかりの品々を保存公開する施設を願う声が大きくなり、昭和50年には広済寺の隣に財団法人近松記念館が開設されました。

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市制70周年を機に

 市制70周年を迎えた昭和61年、尼崎市は「近松のまち」を宣言し、近松を文化振興のシンボルと位置付けます。これ以降、市は文楽や歌舞伎、近松オペラ・演劇の上演、市内各所へのモニュメント設置などの「近松ナウ事業」を実施するとともに、広済寺・近松記念館・近松公園周辺一帯を「近松の里」と命名し、周辺整備事業を開始しました。
 また、こういった市の取り組みに呼応して、古典文学に関心を持つ市民を中心に、近松を学び親しむ活動が生まれます。市制70周年記念国際シンポジウムにおいて、作家の司馬遼太郎氏が近松を取りあげる尼崎市の姿勢を賞賛したことも、大きな刺激となりました。都市イメージや歴史・文化に加えて、女性の社会参加が重視されるこの時代の流れを反映しているのでしょうか。近松に取り組むメンバーには、比較的女性が多いことも特色のひとつでした。やがて平成元年(1989)7月には近松応援団が結成され、近松作品の鑑賞、手作りの文楽人形によるオリジナル脚本の上演といった幅広い活動を継続するなか、会員260〜70人を数えるまでに成長していきます。
 一方、市内にある園田学園女子大学には、平成元年4月に近松研究所が開設され、文献史料の調査収集・文学研究を推進。こうして、市民・大学・行政という3者の連携のもと、尼崎における近松文化の取り組みは、裾野を広げてきたと言えるでしょう。

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地域の歴史写真集編さん・刊行

 近松と同じく、市制70周年以降盛り上がったもうひとつの市民文化の取り組みが、地域の歴史写真集の編さん・刊行です。昭和63年から平成6年にかけて、大庄〔おおしょう〕・小田・本庁という三つの行政区域を対象とした写真集が作られました。いずれも地元住民が中心となって、数十人から百人規模の実行委員会を作り、地元企業・団体や市などの協力を得ながらみずからプランをたて、写真や資料を集めて原稿を作り、刊行したものです。
 最初に写真集を刊行した大庄地区の場合は、市制70周年を記念して近代大庄の歴史をまとめようと、尼崎市社会福祉協議会大庄支部に出版委員会を作り、3年がかりで写真を集めて刊行にこぎつけました。編集後記には「大庄地区の南部は、度重なる台風で浸水したにもかかわらず、よくこれだけ(写真が)集められたもの」という感慨が記されています。
 一方、小田地区の場合は、21世紀を前にした1990年を機に、地域に残る古文書や写真、民具といった文化財を集めて歴史をふり返ろうと「小田の歴史博物展実行委員会」が作られ、展示企画と本作りが一体的にすすめられました。編集後記は「郷土への愛着を更に熱いものとし、また、ふるさとに誇りをもってもらえるのではないか」と、その取り組み意図を記しています。
 本庁地区の場合は、写真集以前の本町〔ほんまち〕通商店街復元図作りと、その過程での写真収集が編さん計画の土台となりました。これに続いて本庁地域写真集刊行実行委員会が作られ、さらに写真が集められます。編集後記には「作業は1,000枚に近い写真のコピーを台紙に貼り、カードを作ることから始めた。…編集とは全体の流れを把握する洞察力と、ハイセンスが不可欠であることを痛感した」と、その苦労が綴〔つづ〕られています。
 なお、大庄と本庁において写真集編さんのために集められた、それぞれ1,500枚以上におよぶ写真群は、いずれも地域研究史料館に寄贈され、市民の共有財産として保存・活用されています。 合併前の旧行政区域を対象に歴史写真集が刊行され、民家や地元企業、団体などに保管されていた数多くの写真が集まったのも、市民主体の取り組みならではと言えます。

『写真でつづる近代大庄のあゆみ』

 同書編集委員会編 尼崎市社会福祉協議会大庄支部出版委員会発行 昭和63年 126頁
 農漁村から工業地帯への急速な変貌〔へんぼう〕を記録。室戸台風の貴重な記録写真も発掘・掲載されています。

『写真が語る小田の今昔 郷土』

 

 小田の歴史博物展実行委員会写真部編 同委員会発行 平成2年 164頁
 弥生時代以来の小田の歴史をたどっており、明治7年(1874)設置の官設鉄道神崎停車場(現JR尼崎駅)も大きく取り上げられています。

『ふるさと「尼崎」のあゆみ−写真が語るあまがさき−』

 本庁地域写真集刊行実行委員会編・発行 平成6年 178頁
 尼崎旧城下町の往時〔おうじ〕の繁栄を誌上に再現。町の中心であった本町通商店街の写真も、多数紹介されています。

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